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●:小さい頃は何か音楽はされていましたか?

高谷:小学1年から3年までエレクトーンを習っていたのですが、レッスンが嫌いでサボってばかりいました。レッスンへ行くフリをして、友達と遊んで帰ってきたりと。僕には歳の離れた兄がいまして、僕が小学校3年生の時に兄はLINDBERG(リンドバーグ)を聴いていました。それで僕もJ-POPというか、とにかくLINDBERGの音楽にのめり込みましたね。それから高校に上がる頃までずっとLINDBERGばかり聴いていましたよ(笑)

●:他のアーティストや、洋楽などは聴いていなかったんですか?

高谷:全然聴いていませんでした。当時はLINDBERGしか認めていませんでしたから(笑)

●:エレクトーン以外の楽器はいつ頃から始められたのですか?

高谷:僕が中学2年生くらいの時に、兄がベースを買ったんですが、使わなくなって倉庫に置いてあったのを偶然に見つけたんですよ。その時はこれはギターだと思って弾いてました(笑)自分で音を探ぐりながら「キラキラ星」や「かえるの歌」などを弾いていました。

●:本格的にベースを始めようとしたきっかけは?

高谷:きっかけはヤンキーに脅されたからなんですよ(笑)

●:ヤンキーに?(笑)

高谷:中学3年生の時なんですが、その年頃のキッズって音楽に目覚めたりする子が多いじゃないですか?僕の周りの子はほとんどと言っていい程ギターを弾いていたのですが、僕は家にベースが有ったということもあり、ベースをやっていました。でもあまり弾けなかったんだけど、格好いいからベースを部屋に飾って置いてました。友達が遊びに来ると「高谷ベース弾けるの?」って言われたりしてね。その時期に学校のヤンキーがバンドを組もうって話をしていたらしく、でもベースが見つからなかったらしいんですよ。それで3年○組の高谷ってヤツがベースやってるらしいぞって噂になっちゃって、ヤンキーに呼び出されたんですよ(笑)半ば強制的に参加させられましたね。

●:そのバンドではどんな曲を?

高谷:ZIGGY(ジギー)とかのスコア譜を3曲くらい渡されて、いきなり「一週間で覚えて来い」って。今考えると僕のベース人生の中で一番練習したんじゃないかな?(笑)学校が終わるとすぐに家に帰って部屋にこもってずっと練習したんですが、結局そのバンドは一回もライブをやることなく終わりました。

●:懸命に練習したのに?

高谷:どうせヤンキーの言っていることなので、やらないと思ってはいたけど、もし「明日リハだからな」とか言われたらヤバイじゃないですか?とりあえず呼ばれた時には弾けるようにしておかなきゃって思って。ヤンキーのおかげで本気で練習したし、ある意味では生命に関わる問題でしたからね(笑)

●:確かにそうですね(笑)ということは中学生では一回もライブはせず?

高谷:はい。周りの環境にあまり恵まれていなくて。当時はハード・ロックが嫌いだったんですよ。なので趣味の合う奴がいなかったし、当時はオーバー・ドライブしたギターの音も好きじゃなかったので。

●:反発心みたいなのがあったんですね?

高谷:そうですね。周りに一緒にやれる奴がいなかったから、高校に行ってからにしようと思って。そうしたら、入学した高校がヤンキーばっかりだったんですよ。ケンカや暴走族の話ばっかりで、また全然話が合わなくて。そんな時に中学の時の音楽仲間がMETALLICA(メタリカ)のコピー・バンドやるんだけど一緒にやらないか?」と誘ってくれまして、そのコピー・バンドで初めてライブをやりました。

●:地元のライブ・ハウスで?

高谷:一般的なライブ・ハウスよりも全然ゆるい感じのお店で、ノルマとか特になくて出演料払って適当にって感じでしたね。

●:チケット配ったり、何人以上呼ばなきゃならないっていうのではなかったんですね?

高谷:そうですね。それまでオーバー・ドライブしたギターの音が嫌いだって言ってた奴が、急にMETALLICAでしたからね(笑)

●:ヘビー・リフ全開みたいな?

高谷:そうそう!だからやっぱり戸惑いはあったんですが、聴いているとメタル系の中でもMETALLICAは平気になりましたよ。だんだん抵抗はなくなってきたし。

●:そのコピー・バンドでは他のアーティストさんのコピー曲などはされましたか?

高谷:METALLICAばっかり(笑)バンド名もMETALLICAをもじってたしね。

●:そのバンドでの活動はどれくらい続いたのですか?

高谷:2、3回くらいライブをやった程度でしたね。あとは自宅でLINDBERGのスコア譜を買って真似をして完コピしていました。でも、そのくらいの時期から音楽の趣味がだんだん変わってきましたね。よく音楽の話をしていた仲間がいまして、そいつはJUDY AND MARY(ジュリー・アンド・マリ−)が好きだったんですよ。ある時お互いの好みの違いで論争が勃発して。互いに持ってるCDを交換して聴いてみたんです。そこからJUDY AND MARYもすごく聴くようになりましたね。あと、当時仲が良い子が、DREAMS COME TRUE (ドリームズ・カム・トゥルー)が大好きだったんですよ。それで僕もDREAMS COME TRUEを聴くようになったのですが、中、高校生くらいの音楽好きな男子がDREAMS COME TRUEが好きだって何だか言いにくいじゃないですか?(笑)

●:気持ちは分かります(笑)

高谷:当時、流行っていた音楽はZIGGYや布袋さんとかで、少しかぶれたヤツだと
洋楽のAEROSMITH(エアロスミス)とかって言いたい時期じゃないですか?実際はDREAMS COME TRUEにすごく影響されていて、初めて自分でお金を出して買ったベースも、DREAMS COME TRUEの中村さんの影響で五弦仕様のベースを買いました。当時ブランドにはあまり知識がなかったので、購入したのはYAMAHA TRB-5Pっていう五弦ベースだったんですよ。今思うと、DREAMS COME TRUEの音楽を聴いていたおかげで、P-FUNK(ピーファンク)とかMOTOWN系(モータウン)などをかっこ良いと感じる感覚が生まれたのかもしれないです。

●:DREAMS COME TRUEも完コピしたり?難しくないですか?

高谷:すごい難しかったですよ(笑)でも、バンドを組んでいなかったから、自宅練習ばっかりで。かなり悶々としていましたね。その頃は発言をしたり目立つことが苦手な性格で、自分のプレイとか人に聞かれたくなくてずっと部屋で練習していました。両親の気配とか感じるとピタっと弾くのやめたり。中学とか高校の頃はお金も無かったし、楽器を買う時は親にねだったりしてて。中学の時に父には内緒で母親から結構高いベースを買ってもらったんですがバレちゃいまして、そうしたら父親が「お前がどれくらい弾けるのかテストをする」って言い出したんですよ。人前で弾くのも初めてだったし、すごく緊張しましたね。LINDBERGのCDを流しながら弾いたんだけど、父親が「お前にそんな特技があるなんて知らなかった」って言われて。それからはすごく調子にのっちゃって(笑)当時はマンションの7階の角部屋に住んでいたのですが、窓を全開にしてTRACE ELLIOT製(トレース・エリオット)の70Wもあるアンプのレベルを12時以上にして弾きまくっていました。ご近所の人に「ここにすごいベーシストがいてるで!」みたいな感じで(笑)

●:お父さんの言葉で何か吹っ切れたって感じですね?

高谷:そうですね。一人で弾いていたので比べるものもないし、人の評価も判らないし。所詮は身内だけど、誰かに評価してもらったことが良いきっかけでしたね。



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